東京高等裁判所 昭和31年(う)1493号 判決 1956年11月02日
控訴人 原審検察官
被告人 金烱都
弁護人 山内忠吉
検察官 近藤忠雄
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役四月に処する。
理由
検察官山本清二郎の控訴趣意および弁護人山内忠吉の答弁は、本判決書末尾添附の控訴趣意書および答弁書に夫々記載のとおりであるから、これらについて判断する。
検察官控訴趣意の要旨は、
本件公訴事実は、「被告人は韓国に本籍を有する外国人で昭和二十七年六月下旬不法に本邦に入り、京都市、大阪市等を転々し昭和三十年八月頃から川崎市上新田入江崎八百二十番地に居住しているものであるが、その上陸の日より六十日以内に居住地の市町村長に対し外国人登録証明書の交付を申請しなければならないのに之を怠り右期間を超えて不法に本邦に在留していたものである」と謂うに対し、原判決は、被告人の右不法入国および上陸の日より六〇日以内に右申請手続をとらなかつた事実を認めながら、斯ような不法入国者に対しては外国人登録法第三条第一項の規定は適用なく、同事実に関しては別に出入国管理令によつて規律されるべきものなりとして、被告人に対して無罪の言渡をしたのは、法令の解釈適用を誤つた旨主張するものであり、
弁護人山内忠吉の答弁の要旨は、本件被告人の如く成規の手続によらずして入国した者に対しては出入国管理令の適用ありとなすは格別、検察官所論の如く外国人登録法第三条第一項所定の登録証明書交付申請の義務ありとなすは失当である。このことは同条項に同申請書には「旅券」を添附すべき旨不法入国者には実行不能なる事項を規定していることに鑑みるも明らかである。故に原判決が被告人に右条項の適用ないものとして無罪を宣したのは正当にして検察官の控訴趣意は理由ない旨主張するものである。
そこで按ずるに、外国人登録法は本邦に在留する外国人の登録制を実施することによつて外国人の居住および身分の状態を常に明確にし以て在留外国人に対する公正な管理の施行に資することを目的としていることは同法の第一条その他全規定の精神に徴して明らかであり、同法第三条第一項所定の本邦在留外国人の登録証明書交付申請義務も右登録制度の基本的段階を形成するために課せられているものに外ならない。而して、他方、出入国管理令は総ての人の本邦に入国し又は本邦から出国すること自体の公正な管理を主眼とし、同法所定の不法入国者強制退去の如きも入国管理の趣意を徹底する見地に発する処置と観るべき筋合のものである。故に、等しく対外国人関係法規であつても、外国人登録法と出入国管理令とは各その規律分野を異にして、而して本件被告人の如く不法入国をなした外国人に対する関係においても現実の入国者の入国後の居住や身分関係の実状を不断に明確にして、それらの対策樹立に資することは、出入国管理令にはよらず、検察官所論の如く外国人登録法の第三条その他の規定の適用によるものと解するを相当とする。
尤も、同法第三条第一項には登録証明申請書に「旅券」を添附すべき旨の文言あること弁護人答弁のとおりであるが、右旅券添附のことは単に成規入国者関係を目途として一応標準的方式を定めたに止まり、要するに入国した外国人の居住や身分の現状調査を目的とする同法条の精神よりすれば、実際上旅券を具有しない入国者の場合には、その具有しないことによつて直ちに右申請義務そのものがないものとなすことは却つて右外国人登録制度の眼目を逸する結果となつて正当ではなく、むしろ、その際は実質上旅券と同目的を達し得る他の書類の添附を認める等適宜の方法によつても右申請をなすべき義務あるものと解するを相当とする(この点に関し、昭和三一年六月二六日法務省管合令第三五六号別冊第一外国人登録事務取扱要領第二外国人登録申請(二)(4) (5) には、登録申請日までに外国人たる公的身分証明書も所持していない者は右旅券に代えて陳述書と称する自己証明書を申請書に添附すべき旨規定している点参照)。
故に、原判決において被告人が本件公訴にかかる外国人登録証明書の交付申請をなさざりし事実に対し外国人登録法第三条第一項の適用はないものとして被告人に無罪の判決言渡をしたのは、検察官所論の如く右法令の誤解に発端して適用を誤つたものであり、而して之がため判決に影響あること明らかであるから、此の点において原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
そこで刑事訴訟法第三九七条第三八〇条第四〇〇条但書により原判決を破棄した上左のとおり判決する。
一、犯罪事実
被告人は、韓国に本籍を有する外国人であるが、昭和二七年六月下旬頃本邦に入団し、その後京都市および大阪府下等に居住した後昭和三〇年八月頃から神奈川県川崎市池上新田入江崎八二〇番地金大羽方に居住していたにかかわらず、右上陸の日から六〇日以内にその居住地の市町村長に対し外国人登録証明書交付の申請をしないで右期間をこえて本邦に在留したものである。
一、証拠
(一) 被告人の原審公廷における供述(第一回公判調書記載)
(二) 被告人の検察官に対する供述調書
(三) 被告人の司法警察員に対する供述調書二通
(四) 金大羽の司法警察員に対する供述調書二通
(五) 川崎市役所外国人登録係長飯田操の臨港警察署長白根市蔵に対する外国人登録について照会回答書
一、法令の適用
外国人登録法第一八条第一項第一号第三条第一項(所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内において被告人を懲役四月に処する)
(裁判長判事 久礼田益喜 判事 武田軍治 判事 石井文治)
検察官山本清二郎の控訴趣意
一、原判決は「被告人は韓国に本籍を有する外国人で昭和二十七年六月下旬不法に本邦に入り、京都市、大阪市等を転々し昭和三十年八月頃から川崎市池上新田入江崎八二〇番地に居住しているものであるが、その上陸の日より六十日以内に居住地の市町村長に対し外国人登録証明書の交付を申請しなければならないのに之を怠り右期間を超えて不法に本邦に在留していたものである」という公訴事実中、「被告人が韓国に本籍を有する外国人であり昭和二十七年六月下旬不法に本邦に入り、その後各地を転々して昭和三十年八月頃から川崎市池上新田入江崎八二〇番地に居住した事実及び、被告人が右上陸の日から六十日以内に居住地の市町村長に対し外国人登録証明書の交付を申請せず本邦に在留していた事実」は明らかであると断じながら、他面右の入国が不法入国であることを理由として「外国人登録法はその第一条の示す通り、本邦に在留する外国人の登録を実施することによつて外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、以て在留外国人の公正な管理に資することを目的としており、一方被告人のような所謂密入国者に対しては出入国管理令によつて公正な管理がなされているのであるから、外国人登録法第三条第一項の規定は原則的には適法に入国した外国人の右の継続的関係を規整するためのものであると解するを相当とする。故に被告人は外国人登録法第三条第一項前段にいう本邦に在留する外国人には該当せず、従つて登録証明書の交付を申請する義務を有せず、更に又この義務に違反したことに対する罰則である同法第十八条第一項第一号の適用を特に認むべき事由はないから、その適用の範囲外にあるものといわなければならない」と判示し無罪の言渡をなしたものであるが、右判決は外国人登録制度の本質を理解せず、延いて外国人登録法の解釈適用を誤つた不当な判決と言わざるを得ない。
以下(一)登録法令制定の由来、立法理由 (二)適法なる入国者との均衡 (三)実際上の必要と現実の取扱 (四)期待可能性の問題の四点に分ち原判決の不当なる所以を述べたいと考える。
二、先ず外国人登録法の制定の由来、立法理由等から考えて見るに、同法の前身は外国人登録令であるが、同令は昭和二十一年四月二日の「非日本人の日本入国と登録に関する連合国最高司令官の覚書」に基いて制定されたものであつて、右覚書によれば、政府は占領軍部隊に属しない外国人の合法的な入国、居住手続の一部として、これら外国人の登録身分証明書その他日本国内居住を合法化するために、必要な書類の交付に関する処置を実施するための手段を講ずることが要求されているのであり、その趣旨とするところは、外国人が日本に来航した時は直ちに日本政府に出頭届出をなさしめ、日本政府をして之を登録して外国人の実体を把握せしめ、その滞在につき適正な措置を講じさせようとするに外ならない。この要求に応ずる措置として制定を見た外国人登録令は、その第一条に於て、外国人の入国に関する措置を適切に実施し、且つ、外国人に対する諸般の取扱の適正を期することを目的とするものであることを明定し、殊に後段所定の目的を達するため、在日外国人の実数を調査登録し、その居住及び身分関係を明確にする必要がある結果、在日外国人に対し一定の登録申請義務を課したものと解すべきである。而して右解釈は、講和発効に際し、外国人登録令に替つて制定された外国人登録法に於ても、そのまま当てはまるものであることは言うまでもない。右趣旨に鑑みれば、外国人登録令乃至同登録法は、苟くも日本に在留する外国人総てに対し均しく適用されるものであることは明らかであり、不法入国者なるが故にその取扱を異にすべき理由は毫末も存しないのである。若し不法入国者を本法の適用外とすれば、登録を申請せしめて在日外国人全般についてその在留関係の適正を期しようとする法の精神は全く没却されることになるのであつて、不申請の事実の存する限り密入国の有無に拘らず外国人登録法違反の罪は成立するものと解するのが当然である。この点に関し札幌高等裁判所第三部が昭和二十五年十月二十五日外国人登録令違反被告事件について「外国人登録令第三条に違反し不法に入国した者といえども同令第四条第一項による登録申請の義務あるものと解すべく、不法入国の行為中に当然外国人登録証明書不所持の行為を包含するものではなく、同令による不法入国の罪と外国人登録証明書不所持の罪とはその構成要件を異にする別個の犯罪である」と判示しているのも(昭和二七、一二、一九最高第二小法廷も之を支持)右と同趣旨に出でたものと解すべきである。
三、次に原判決の見解に従うときは、適法に入国した者が登録申請義務、登録証明書携帯義務、居住地変更の届出義務等種々の制限規則を受けているに較べ、不法入国者は三年の公訴時効完成後は、之を発見して退去強制の処置に出ずるの外処罰の対象とならないこととなり、不法入国者に寛にして適法入国者に酷であるという不公平な結果を生ずるのみならず、その身分並びに居住関係を規制する何等の方法なく、全くの法の埒外に置かれるという極めて不合理な結果を生ずるのであつて、かかる不均衡は昭和二十八年十二月十五日外国人登録法違反事件についての名古屋高等裁判所の判決を俟つ迄もなく吾々の到底容認し難いところである。
四、次に実際上の必要であるが、出入国管理令第五十条によれば、法務大臣は特別の事情があると認める時は不法入国者の在留を特別に許可することができる旨定められ、右許可は現実に相当数行われて居り、又不法入国者につき刑の執行を終つた後或いは不起訴処分に付した後、情状により退去強制を行わぬ場合もあるが、不法入国者に登録関係法令の適用がないと解するときは、これらの場合を如何に解釈処理すべきであろうか。不法入国者と雖も適法な入国者と同様申請義務を有し、これに登録申請をなさしめて法所定の手続に従い外国人として登録し、その居住関係を規律すべきものと考えるより仕方ないものと思われる。而して従来外国人登録関係の事務当局に於ては、外国人登録令制定当時から今日に至るまで、適法なる入国者と同様不法入国者に対しても、一律に登録申請の手続をなさしめておるのである。即ち昭和二十二年七月二十三日調四発第八八三号外国人登録事務取扱要項中には「従来の進駐軍の覚書の条項による不法入国者は勿論のこと令第三条の規定に違反して本邦に入つた者といえども登録申請の義務があるからその登録を拒んではならない」と指示して、不法入国者の登録申請の円滑を期しているが、右以後に於てもその取扱は不変である。尚昭和二十四年十一月一日附法務府民事長官及び刑政長官から各都道府県知事宛の「未登録外国人の新規登録申請に関する件」通達が「未登録の外国人については登録の申請を受理しない旨」を定めていることを根拠として、不法入国者の登録申請義務を否定する見解も一部にあるが、右通達中にいう「受理しないこと」とは「右の様な申請があつた場合には市町村長は一応之を受取り置き退去強制がなされるか否かが決定するまで登録証明書の発行を留保すべき旨」を命じた趣旨と解すべく、昭和二十八年五月十四日外国人登録令違反事件に関する最高裁判所第一小法廷判決、同二十八年三月十日同令違反事件に関する名古屋高等裁判所の判決等も同様の説明をなしていることに留意すべきである。
五、最後に原判決は無罪の理由として登録法第三条にいう外国人には不法入国者は含まれないと判示するのみで、不法入国者に登録申請義務を課することの期待可能性の問題に触れていないが、前記判断の根底には右期待不可能の理論もあると考えられるのでこの問題につき一言する。なるほど不法入国者に登録義務を課するとすれば自己の不法入国の犯罪発覚の危険に於て登録申請しなければならぬという事情は認められるが、登録申請はもとより不法入国の犯罪の申告迄も要求しているものではないから、理論的には申請それ自体が自己の犯罪の申告となるものではなく、それは登録申請義務の履行たるに過ぎない。又自己の犯罪発覚の虞れがあるからといつて、期待可能性の理論を適用し、之を救済すべき場合には当らない。右趣旨は同様の場合に関する左記の諸判決からも一貫して認め得るところである。昭二六、一一、一九札幌高等裁判所判決 麻薬取締法違反被告事件 昭二六、四、一六仙台高等裁判所判決 右同 昭二七、三、二八最高裁判所第二小法廷判決 右同 昭九、三、一五大審院第一刑事部判決 賍物故買、古物商取締法違反被告事件 昭二七、一、三一東京高等裁判所判決 法人税法違反被告事件 昭二九、七、一六最高裁判所第二小法廷判決 麻薬取締法違反被告事件
六、叙上の理由により原判決は法令の解釈適用を誤り、その誤りが判決に影響を及ぼしていること明らかな場合に相当するので刑事訴訟法第三百八十条第三百九十七条により破棄せらるべきものと信ずる。